第4号『HN:バラ色の人生の受注奮戦記録』
モータースポーツ好きにはたまらない僕の貴重な設備機械の受注体験をシリーズで報告します。
≪シリーズその1≫
NIS●AN R91CPで1992年度アメリカデイトナ24時間耐久レースの初優勝に貢献!!
8ラップ半の断突の差で24時間を完全走破したR91CPの運転制御に重要なナックルアーム、僕がマザックV414のショールーム機でNI●MOの立会いの下にデモカットした部品が使用されたそうですーーーー
この事実は後で知らされましたが、このデモカットは僕が神奈川でメーカー営業をしている過程で、NI●MOのT工長と知り合い、既に系列H社の設備を導入予定になっていたMCを僕のテストカットの結果で対象機種を評価し直すとの商談に至り、実現したものです。1991年10月にショールームで7,000回転の高速加工でAL7075のブロック材からRーLペアーのナックルアームを約8時間で完成させ、従来のNI●MO職人の38時間の製作時間を大幅に短縮する事を証明いたしました。
優勝のドラマはまず富士スピードウェイのテストランからスタートしました
1991年11月の富士スピードウェイで高橋●光さんによってR9lCP実機搭載の走行テストが密かに行われて、部品性能の評価で見事に合格してすぐに翌年の24時間デイトナ耐久レースに採用のゴーサインが出ました。
1992年1月秘密のナックルアームがアメリカのデイトナのNI●MOチームへ運びこまれました
搭載車には、長谷見●弘さん・星野●義さん・鈴木●男さんの3人の日本人ドライバーが初めてエントリーされた事でも話題になりました。2月1日から2日に掛けて行われた決勝レースはラジエーターにこびり付くタールや砂を除去する程度のコンデションで24時間を走破して自社製フレーム、エンジン、日本人ドライバーによって後続のジャガーXJR-12Dに8ラップ半の大差で、かつ762周の周回記録も打ち立てての快挙を遂げたのです!!
この優勝のドラマはEX系90分ドキュメンタリー番組として同年5月に全国放映されました!!
しかしこの一連のNI●MOの行動は僕やマザック関連者には一切事前には知らされておらず、1992年3月に入り当時のNI●MOのN社長がこの優勝を大変喜び、系列会社製品の導入予定を白紙に戻して僕の勧めるマザックのAJV25/50とQT20Nの2台の導入の許可を下さったのだと、T工長から事後報告と注文を受けて初めて発覚し、マザックの設備でNI●MOのNC化に成功したのです。
ワンクラッシュ3000万円の部品代の恐怖が無くなった!!
当時90%が外注部品で作られていたNI●MOの部品はワンクラッシュ3,000万円の恐怖だったそうですが、マザックを導入して早くも半年で内製化率65%を達成し部品コストの大幅ダウンのお陰で、やがて訪れたバブル不況下に おけるレースイベントもHO●DAの様に一時撤退もせず継続する事が出来たと、感謝の言葉を現場T工長から直に頂戴しました。
2005年INTEGREX-200がNI●MO本社工場に追加導入されました。
この設備の提案も僕が行った物ですが、僕が会社を変わった為に別ルートから導入されてしまったのが残念です。しかし、世界の最先端を走る製品の一部に僕の機械に対するロマンと情熱が採用され、役立っている事に最高の誇りと喜びを感じております。
この輝かしいNIS●ANのレースの記録は、NIS●AN RACE CAR DIRECTORY (●産レースカー名鑑)のトップ記事としてVol.1に詳しく紹介されていますので、興味のある人は開いて見て下さい。
「バラ色の人生」の体験報告は以下の予定です
第二回目の予告 スカ●ラインGTRのモデルチェンジに貢献したエピソード
第三回目の予告 シル●アのインテークマニホールドの製造ラインは僕のもの
第四回目の予告 主軸60,000回転の実用機の記録はまだ破られていない
第五回目の予告 ボー●ング777型機の羽根材「スティフナー」は僕の8年越しの提案営業で出来た
≪シリーズその1≫
NIS●AN R91CPで1992年度アメリカデイトナ24時間耐久レースの初優勝に貢献!!
8ラップ半の断突の差で24時間を完全走破したR91CPの運転制御に重要なナックルアーム、僕がマザックV414のショールーム機でNI●MOの立会いの下にデモカットした部品が使用されたそうですーーーー
この事実は後で知らされましたが、このデモカットは僕が神奈川でメーカー営業をしている過程で、NI●MOのT工長と知り合い、既に系列H社の設備を導入予定になっていたMCを僕のテストカットの結果で対象機種を評価し直すとの商談に至り、実現したものです。1991年10月にショールームで7,000回転の高速加工でAL7075のブロック材からRーLペアーのナックルアームを約8時間で完成させ、従来のNI●MO職人の38時間の製作時間を大幅に短縮する事を証明いたしました。
優勝のドラマはまず富士スピードウェイのテストランからスタートしました
1991年11月の富士スピードウェイで高橋●光さんによってR9lCP実機搭載の走行テストが密かに行われて、部品性能の評価で見事に合格してすぐに翌年の24時間デイトナ耐久レースに採用のゴーサインが出ました。
1992年1月秘密のナックルアームがアメリカのデイトナのNI●MOチームへ運びこまれました
搭載車には、長谷見●弘さん・星野●義さん・鈴木●男さんの3人の日本人ドライバーが初めてエントリーされた事でも話題になりました。2月1日から2日に掛けて行われた決勝レースはラジエーターにこびり付くタールや砂を除去する程度のコンデションで24時間を走破して自社製フレーム、エンジン、日本人ドライバーによって後続のジャガーXJR-12Dに8ラップ半の大差で、かつ762周の周回記録も打ち立てての快挙を遂げたのです!!
この優勝のドラマはEX系90分ドキュメンタリー番組として同年5月に全国放映されました!!
しかしこの一連のNI●MOの行動は僕やマザック関連者には一切事前には知らされておらず、1992年3月に入り当時のNI●MOのN社長がこの優勝を大変喜び、系列会社製品の導入予定を白紙に戻して僕の勧めるマザックのAJV25/50とQT20Nの2台の導入の許可を下さったのだと、T工長から事後報告と注文を受けて初めて発覚し、マザックの設備でNI●MOのNC化に成功したのです。
ワンクラッシュ3000万円の部品代の恐怖が無くなった!!
当時90%が外注部品で作られていたNI●MOの部品はワンクラッシュ3,000万円の恐怖だったそうですが、マザックを導入して早くも半年で内製化率65%を達成し部品コストの大幅ダウンのお陰で、やがて訪れたバブル不況下に おけるレースイベントもHO●DAの様に一時撤退もせず継続する事が出来たと、感謝の言葉を現場T工長から直に頂戴しました。
2005年INTEGREX-200がNI●MO本社工場に追加導入されました。
この設備の提案も僕が行った物ですが、僕が会社を変わった為に別ルートから導入されてしまったのが残念です。しかし、世界の最先端を走る製品の一部に僕の機械に対するロマンと情熱が採用され、役立っている事に最高の誇りと喜びを感じております。
この輝かしいNIS●ANのレースの記録は、NIS●AN RACE CAR DIRECTORY (●産レースカー名鑑)のトップ記事としてVol.1に詳しく紹介されていますので、興味のある人は開いて見て下さい。
「バラ色の人生」の体験報告は以下の予定です
第二回目の予告 スカ●ラインGTRのモデルチェンジに貢献したエピソード
第三回目の予告 シル●アのインテークマニホールドの製造ラインは僕のもの
第四回目の予告 主軸60,000回転の実用機の記録はまだ破られていない
第五回目の予告 ボー●ング777型機の羽根材「スティフナー」は僕の8年越しの提案営業で出来た
by バラ色の人生 from銀座(07/03/02UP)
|-`).。oO(ちなみに掲載の予定は未定ですよ…ボソッ byベッキー)